父のネクタイ

父のネクタイ

父が生まれた大正13年は、関東大震災(大正12年9月1日)の翌年。生前、祖母が言うには「地震の時にお腹にいた子は、世間では捨てないと家族に悪い事をもたらすといわれて困った……」と。

幼かったので言葉は正確に覚えていないが、聞いた時の衝撃は記憶にある。祖父が「家には捨てる子は居ない」と言ってくれたので今私がここに存在する訳だが。

その父の亡くなったのは平成22年7月。あの東日本大震災はその翌年3月11日に起きる。第2次世界大戦で戦地に赴くも帰還した父は、そんな訳で2つの大震災の間をすり抜けるように生きて体験はしていない。

その父だが、役所務めが長かったので遺品にはネクタイが山のようにあった。

素材は殆どがシルクで柄も良い、となれば……。そうだ、バッグにしよう! と思い立つ。

状態の良い物、色や柄の見映えがする物を選び丁寧に解いて、手洗いしてアイロンをかけた。もう一度再利用に耐えるかチェックした中から、色と柄のコーディネートを決めていった。

持ち手は長持ちするよう市販のテープにして、裏地は、これも沢山ある父のワイシャツを使う事にし、胸ポケットをちょうどバッグの内ポケットの位置に来るように配置した。

父の姉の伯母たち、叔父の妻の叔母、従姉妹、、そのほか出来ばえを褒めてくれた友人たちにプレゼントした。

亡くなった年の秋晴れの続く頃、毎日ネクタイの洗い張りをしながら、これは私がお給料を貰って買ったっけ、これは母と選んだなぁ、これは、どなたかに貰ったのかも、と妄想したり……。

首の細いところに巻き付ける部分が傷んで擦り切れているのを見つけた時には、口には出さずとも悔しい日もあったであろう父の仕事人生に思いを馳せ、感謝の気持ちで手元がぼやけたりと、その作業は今思い返しても幸せな時間だった。

ひとつくらいは手元に残しておいても良かったかもしれない、と思いながら。

 

この記事を書いた人

R🎗B

還暦で生まれ変わり10歳になる
今年の目標はおひとりさま旅行にデビューする事

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